青い空 aoisora kiyokku@globallink21.com

やさしさ

介護を必要とする場において、ユニバーサルデザインが必要である。
しかし、全部をバリアフリーにする必要はない。

介護を必要とする方にあわせて、様々なバリエーションがあっていい。
例えば、見学に行ったある特別養護老人ホームのグループホームという共同生活の場では、一段高い所に畳のスペースがあったり、各部屋に畳があり、靴を脱ぐ場所が設けられている。
日本の文化がそこにあるという感じ。
ただ段差をなくすことが優しさでなはいのだ。
靴を脱ぐ動き自体が、訓練の一つになり得るからである。

スポイルと優しさは違う。
往々にして、介護を要する人の生活を、介護する側の立場から見てしまったり、生きようとする努力まで剥いでしまうことがある。

介護する人のペースにあわせてしまいがちである。

入所施設での生活は決して社会や文化から切り離されたものであってはならない。
そして介護がそこだけで提供されるものであってもいけない。
社会と共存し、社会に対して発進源になるべきである。

介護という仕事はとても誇りのある仕事であると思う。
どんなに社会に貢献していることか。
死に直面する場所は、今では病院しかない。それが普通になっている。
生活の中に死がある、普通のようで普通でない環境が作り出されている。

死の教育という言葉が適切かどうかはわからないが、そういう場所なのではないか。
死にむかって1歩ずつ生きることを全うしている。人生の最後の大切なひとときを全うしている姿を学ぶことができると思うのである。
そこにいったら死が待っているだけというのではなく、死が自然のことのように有り得る所なのである。
介護という仕事は、なんて誇り高いことだろう。

介護は自分の親が年老いた時に初めて直面する問題になっている。
しかし、もっと積極的に知るべきなのではないだろうか。
残念なことに金儲けのために存在するところも少なくないのである。
「介護をしてやってる」ではなく、大切なひとときを共に学ぶぐらいの心構えでいったらどうだろう。
高齢者介護は決して社会のお荷物なのではない。いつか必ず行く道。敬意の念抱いて介護させて頂こう。
死を教わることで、生きることが少しでも見えてくるのではないだろうか。
積極的に老人ホームに行ってみよう。みんなの目で見てみよう。

01.6.23


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